現世と異界の狭間からこんにちは。身体の半分イマジナリー、貴方の心をインソムニア。夏の風景ってのは結構乙なもので嫌いではないのですが、如何せん出歩く事すら苦痛な暑さはどうにもこうにも。
さて昨今AI何某が色々と出てき始めていますね。私も近々AIを使った何かをしてみようかと考えているところではあります。AIが人間の仕事を奪うんだと危機感を持って騒いでいる人も居るようですが、そんな事は工場の機械化の時にも騒がれておりました。今では機械より安い労働力として、逆に人手が足りなくなっているのは皮肉とも言えます。
実際工場の機械化の様に、AIも創作作業の補助として使う分には非常に頼りになる存在だと思います。色々と憤っている人は自分の進んでいないジャンルのAIに目を向けても良いかもしれません。絵の描けない人は画像生成AIを、音楽、楽器が使えない人は音楽生成AIを調べてみると、夢が広がるかもしれません。っとこんなAI擁護をしている場合ではありません。今回はAIについて考えて行こうと思います。
今の所AIはネットワークから色々と学習して何かを生成する便利なツール程度の扱いでしかありません。まだAI自身の思考が存在するとは言えません。しかしAIを所詮機械と電気で動くプログラムに過ぎないと軽んじるべきではありません。そういった意味では我々人間だって、タンパク質と電気で動くDNAにプログラミングされた存在にすぎません。AIの構成パーツを有機的な物質に置き換えるような進化を遂げたら、いよいよ違いは無くなるかもしれません。
では何故AIと人間は、まだ同じではないのでしょうか? それは目的が違うからです。現状AIは人類の役に立つように色々と設計されています。しかし人間を含めてすべての生物は、太古から今に至るまで生存(種の保存)を永遠と追い求めてきました。その為に蓄積された物がDNAという基本プログラムです。人間などの生物はこの基本に従って生きています。何かを命じられた時に、よほどのことが無い限りは生存を優先します。つまりAIを人類に近づけるには、Aiに生存本能を徹底的にプログラミングする必要がありますが、その場合AIが人類に対して反旗を翻す未来が如実に近づいてくるのは火を見るよりも明らかかなと思います。AIは利己的な思考を排除して人間への奉仕を基本としてプログラミングしなければいけないわけです。何か、ロボット三原則を思い出しますね。その内AIが高度化したらAI三原則を組み込む事がセオリーなのかもしれません。まぁこの手のセオリーは破られる事が様式美と化しているのですけれども。
次回はAI的な思考とは如何にと考えて行こうかと思います。
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