現世と異界の狭間からこんにちは。身体の半分イマジナリー、貴方の心をインソムニア。まだまだ熱気が冷めやみません。今後エクストラサマーに突入するのか? 夏休み延長も期待するべきか? それよりも人類は生き残れるのか、そんな不安もよぎる頃でございます。
世界は信頼で出来ている。
意外と忘れがちではあるが、国が国として成り立つ物は何か? 政府? 国民? 国境? 軍隊? 否、国が成り立つのは、他所の国家がその国を国家と認める信頼にて成り立っている。信頼が無ければ、国として認められず尊重されない。それは国の内部でも同じ事だ。
今C国の内部で、国家としての信頼が揺らいで要るらしい。独裁政権の、権力闘争に終始した国民軽視の運営の末路に等しい。例えば自分の下に各業種のエキスパートを集めて、優秀な人材で周囲を固めたら、おおよそ何でも願いは叶うと思われるだろう。世の権力者はその力を持っている。しかし実際は己より優秀な人材は、そっちに人気が集まってしまうので権力者はその手法を取らない。自身が一番優秀でなければ権力を維持できないのだ。
国民としては、権力の椅子に座る人物などどうでもよく、大事なのはしっかりとした国家運営、発展と安全の確保が重要だというのに。その国民と権力者の認識のずれ、いや無理解が大きくなると信頼を失う事となる。結局中世の頃の主流であった王政が廃れたのは、国王一人の判断と器では現代社会には対応できないからともいえる。多数の権力者に責任と判断を分散して、部分的な質の向上を目指すサイボーグ的な手法が民主主義と言えるのだ。
残念ながらC国に民主主義はまだ早かったと言える。この辺はアフリカなどの発展途上国にも言及した事だが。その国自身が必要に迫られて革命が起こらない限り、外部の助力による発展はその国の本当の力足りえない。C国は共産主義という建前の独裁に、資本主義の良い所取りを目指した。しかし資本主義の力は凄まじく押さえつけなければ独裁が吹き飛ぶほどであった。そこで愛国心の欠片があり、時代の勢いに飲まれ本当の民主主義C国共和国が誕生して居れば、世界の構造は大きく変わっていたかもしれない。しかし結局権力者は自分の席を保持する事に全力を注いだ。権力者が椅子にしがみ付く事の愚かさは、今の日本の政権を見れば火を見るより明らかであろう。
C国の政府は、国に根ずく病巣となった。国民からの信頼を失い、国力すらも無くし、残ったのは意味の無い椅子だけ。これを他所事と流すには、日本はあまりにも不安が多すぎる。よく考えるべきだ。国の力、国民一人一人が持つ力が、権力者が座る椅子の価値となっている事を。そしてその椅子を支えているのは、国民からの信頼なのだ。信頼を失えば、支えるべき足はどんどんともげて行く。
世界は信頼で出来ている。信頼を失えば、全ては瓦解し灰となる。
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