現世と異界の狭間からこんにちわ。身体の半分イマジナリー、貴方の心をインソムニア。不安定で不確定な気温なので、体調管理に気を付けて行きましょう。歪んだ作品は心の歪みから。明るく楽しい青春物語は、病んだ心では生まれにくい物です。
前回から引き続き、教育とかに関して考えて行こうかなと思います。しかして学校の教育というのは、知識を与える事と試験勉強という教育があります。知識を与える教育とは一般教育だったり、未知の分野だったり、図画工作や音楽なんかは正直受験には不必要な科目ですよね。試験勉強とはまぁ先生がここテストで出るぞと言ったように、期末テストや将来の受験対策の勉強ですね。
ぶっちゃけると、授業では先生がテストに出る問題を基本的に話しているのでノートにはそこだけ板書すればOKです。授業の内容は後で動画でもっと面白い説明を聞く方が良いでしょう。
西洋はまぁ情操教育としての勉強が盛んなイメージですね。日本は……今ではもう受験の為の勉強になってしまっている感じがありますね。ではC国K国はと言うと。
前回科挙について触れたと思いますが、まぁこの手の勉強というのは、まさに受験の為の勉強の大元という物で。まぁ別に今ここで真の教育とは……とか熱弁する気は毛頭ありません。受験勉強の問題点とは、ずばり答えが決まっているという事です。そうなると勉強の基本は答えの丸暗記という事になります。これでは知識は増えますが思考力は鍛えられません。
まぁそもそも、世界でも通用するような高度な教育を行えていて、国民全員があんなに傾倒していたなら、もっと世界で活躍する人材が輩出されておかしくないわけです。受験的な勉強はあくまで国内の受験にだけ通用するもので、その後の大学や社会には通用しません。じゃぁなんでそんな勉強を一生懸命するのかと言えば、受験の為の勉強は答えが決まっているので教えやすくまた学びやすいからです。最適化の結果とも言えますが、そこに大勢の人が殺到する事により、振るい落とすための試験となってしまいます。階層脱出の為に、そこまで役に立つ訳でもない知識を無理やり詰め込んで勉強に励む、未来のディストピアの一端を垣間見る気がしますね。そんな事より多言語や資格習得を目指した方が将来的に価値がありそうな気がしてなりません。
この先、日常で全く使われていない謎の言語や、ありもしない架空の神話体系を必死に勉強しているのかもしれませんが、それって中二病の人が大抵やっている事なんでそれはそれでと言う所ではあります。世の中無駄な事なんてないんですね。それに独自言語の創作はいろんな言語に触れるきっかけになりますし、架空の神話体系は複数の国家の歴史を学ぶ良い機会と言えます。
もしかしたらディストピアに見える詰め込み教育から、真なる天才が生まれる土壌が育まれるのかもしれませんね。
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