我考える、故に我教育を得たり3

Novel of forward

 現世と異界の狭間からこんにちは。身体の半分イマジナリー、貴方の心をインソムニア。天魔覆滅、奇々怪々、狂瀾怒濤、右往左往。皆行き先を見失い、我も我もとわらをもつかむ、そんな日々如何お過ごしでしょうか? 今日も今日とて徒然と筆を執って候。

 さて前回から、教育とは何て大層な語りをかましておりましたが。言ってしまえば、その当時優秀であった科挙という制度に、教育という物が広く認知され実用的と認識された物の、権威は地に落ちてしまったと言えよう。そも教育とは、ある程度権威があり皆感謝しなければならない。義務だ権利だと大口を開けたひな鳥に与えるエサなどではいけないわけだ。しかし知る事へのとっかかりそのものは重要である。

 興味を惹くという点では、実用的な側面も含め、科挙は愚鈍な馬の前につるされたニンジンの如く優秀であっただろう。しかしそれは勉強が目的ではなく手段となってしまった。神のご加護も有難味が無くては単なる幸運となろう。

 歴史上、書物等の知識やマナーなどの常識等は貴族の力の象徴であった。そう思えば、知識という力を付ければ、いくらでも上を目指せる現代社会は悪い物ではない。階層突破の手段がいくらでも用意されている。そこに気づけるかは身につけた知識次第と言える。

 つまり勉強そのものが悪いのではない、学ぶ者の姿勢の問題なのだ。よくよく考えれば、小学校から高校、大学まで二十年近くも学問に人は触れているのに、なぜこうも世の中は愚かしいのか。重要なのは人それぞれ賢さに違いがあり、知識だけを与えても全ての人類が賢くなるという訳ではないという事だ。それは正しいだろう、そうでなければ期末テストや試験などで順位付けは行わない。知識を与えれば人類が全員等しく賢くなるというのなら、テストの結果は全員満点で同率一位になるはずだからだ。

 知識を得る勉強と、賢くなるための勉強は違う。

 AIが発達した未来に、一人一人に最適な勉強が施され、人類が等しく賢くなれる場合は、どのような社会構造になるというのだろうか。やはり勉強による順位付けによる階層社会となるのだろうか。あるいは、旧世界の賢者の子弟の如く、広場で討論会をしているのだろうか。因みに、昔のSF描写であった頭に直接知識をインストールするという手法はもう使われなくなって久しい。何なら今どき、スマホという世界中の知識にアクセスできる端末を一人一人持っているのだから、その上位互換に近しい状況となっているのだ。

 しかして、その知識を上手く使う賢さを、まだ大半の人類は手にしていない。

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